TRAVEL MIND

旅する心

旅とは知的冒険です。

見知らぬ土地(国)へ行った時、誰しもがその土地の人々(民族)、歴史、食味などに興味を抱くことでしょう。そこから好奇心が芽生え、新しい発見があり、知的冒険がはじまります。

たとえばカナダの西海岸、バンクーバーに行ったとき、北太平洋の離島に住むハイダ民族を訪ねたことがありました。ハイダはトーテムポールで知られる民族です。訪ねてみたら、人々の暮らし、食味、信仰に北海道のアイヌ民族の“気配”を感じました。その時、ふとアイヌの木彫家・砂澤ビッキを思い出したのです。

砂澤ビッキは丘に4本の木柱を立てた「四つの風」で知られるアイヌの木彫家です。巨木文化遺産、それは実は縄文人のシンボルでした。果たして縄文文化は北海道を経てカナダ、ハイダの地に辿り着いたのではないか? という興味深い想像が湧いてきました。

一方、長野県諏訪地方は「縄文銀座」といわれるほど縄文遺跡が多く残っているところです。果たして巨木文化が残っていないか、訪ねてみたら、なんと「御柱」があったではないですか! 4本の樅の巨木が神社の四方に立っていました。御柱は縄文文化ではないですが、この地方では蘇生のシンボルとして古来、巨木を崇めてきました。中ッ原縄文公園には縄文時代の巨木遺跡も復元されています。

巨木文化はさらにベーリング海(古代では陸、平原だった)を経て、アメリカ大陸に渡ったのではないか、それをぼくはJomon-Berling Lineと名づけて、古代人のグレートジャーニーの謎を探りました。それを『ラストカムイ~砂澤ビッキの木彫』(白水社)という本で書いたのでした。

旅には鉄道が似合います。
鉄道は一九世紀の産業遺産ですが、今も全世界で元気に走っています。

とりわけお勧めはローカル線です。各駅停車の窓辺に座り、流れゆく風景を見ながら、ゆっくりのんびり列車でゆくといろいろな発見があります。

「はげ(半家)」とか「おおぼけ(大歩危)」とか、わが身につまされる珍名駅に出会ったり、ホームの花壇に悠々と羽を伸ばして飛んでゆくオニヤンマ、並走する渓流からカジカの涼やかな声が聞こえてきたり、という経験はクルマや特急列車ではできません。欲をいえば、ポケット瓶をしのばせて、ちょい飲みできるのは、クルマでは出来ない鉄道旅行の特権です。

ほろ酔い気分で里山の桜や深山の紅葉を愛でながら、過ぎ去った思い出のなかに友人らと語り合う。そんな“思い出列車”の旅をぜひ楽しんでください。

TRAVEL REPORT

旅の記録

取材と旅の断章。年ごとのテーマと、その年に見えた風景を記します。

2025
祖父の足跡を追って、丹後、熊本、四国(善通寺)、下関へ
 2019年に退職してからは、一、郷土、地域に尽くすこと、二、母校に尽くすこと、三、先祖に尽くこと、と執筆の方向性を決めました。  そこで青年時代を過ごした第二の故郷・北海道に関しては、「北海道廃線紀行」(筑摩書房)、「わがラストラン、北海道」(天夢人)を上梓し、さらにわが山荘のある浅間高原を舞台として「草軽電鉄物語」(信濃毎日新聞社)を書きました。母校に関しては、「北の星たち~新渡戸稲造、内村鑑三、有島武郎」で“北大三傑”のダイナミックで、アンビシャスな「運命の物語」に挑みました。  そこで2025年は先祖をテーマに「乃木少佐と芦原軍曹」(仮題)を書きはじめています。取材地は丹後、熊本、四国(善通寺)、下関です。  わがご先祖、芦原家は京都府のはずれ、丹後峰山藩の京極家に参じた御典医の家系でしたが、祖父は医者を嫌がり軍人となり、かの乃木希典将軍の副官として仕えた男でした。  西南戦争、日清戦争、北清事変、日露戦争と人生の大半を戦場で過ごした明治人で、家伝では「乃木さん」のエピソードが幾多残っており、かの司馬遼太郎が「陰鬱な人、愚将」として描いた乃木希典のイメージとはかなり隔たっています。軍神でもない、英雄でもない、優しい、微笑ましい乃木像を祖父の目を通して描こうと思っています。  どうぞご期待ください!
2024
見知らぬ国々、バルカンの魅力にはまる
 バルカン諸国は未知の国々です。ユーゴスラビアだった時代、セルビア、マケドニア、アルバニアなどは訪れていましたが、その後“ヨーロッパの火薬庫”などと呼ばれ、内戦状態となり、とても旅行できる状態ではなかったのです。  現在はそれぞれが独自の道を歩んでおり、この年、アルバニア、コソボ、モンテネグロ、北マケドニアと4ヵ国をまとめて訪ねる機会がありました。初夏の日差しのなかで、平和で穏やかな風景と陽気で大ような人々の笑顔に心が癒されました。  “ヨーロッパの最貧国”などとNEWSで見聞した情報はもう昔の話です。大通りのカフェでは明るい午後の光を浴びて、人々はワイン片手においしい地元料理を楽しんでいました。  バルカン諸島は複雑な歴史をもっています。古代にはローマ帝国、さらにビザンツ帝国、中世から近代はオスマントルコ帝国の支配を経、宗教はオーソドックス(正教)、カトリック、イスラム教が混在しています。夕暮れには教会の鐘が鳴り、モスクからはアザーンの声が聞こえてきます。  そんな不思議の国の物語を書いてみたいと思っています。
2023
誰も知らない「軽井沢」を発見した
 東京から浅間高原へ行くには必ず軽井沢を通ります。軽井沢はこの地域の中心ともいえる町です。ある時、駅前本通りを歩いていたら、道の端に「新渡戸通り」という標識を見つけました。「へえ、あの新渡戸稲造が?」と道を辿ったら、「新渡戸稲造旧宅跡」の案内板が出てきました。  一方、今人気の星野温泉はわが嬬恋村方面への国道途中にありますが、ふと見ると、「内村鑑三記念、石の教会」の標識が目に入りました。石と植物、自然をモチーフにした教会で、若いカップルに人気の結婚式場です。「石の教会」の名は知っていましたが、内村鑑三ゆかりとはツユ知らず、新渡戸さんとは軽井沢で交流があったのだろうか、と興味が湧きました。  有島武郎が軽井沢で情死したのは有名な話で、以来軽井沢はラブロマンスの地となった、と言われています。「この三人が晩年、軽井沢で過ごしていたのだ」――という発見に我ながら驚きました。三人は青春時代、札幌農学校に在籍しており、わが母校では「北大三傑」としてのちに知られるところとなります。しかし札幌の人は軽井沢の三人のことなど知りません。一方、軽井沢の人は三人の札幌のことなど知りません。「ならば、ぼくが物語を書いてみよう」―と思ったのが、『北の星たち~新渡戸稲造、内村鑑三、有島武郎』(白水社)のきっかけでした。以来、この年は軽井沢、札幌、盛岡へと通いました。  2025年、この作品は「第5回、加賀乙彦文学賞」を受賞しました。授賞式の折、選考委員のひとりの藤沢周さんから「著者の芦原さんはこの三人に呼ばれたのだと思います。これは運命的な作品です」との評を受けました。たしかにこの物語は、北大OBで、しかも軽井沢に縁のある作家でなければ書けないオリジナルな発想のものでした。
2022
あの懐かしの「草軽電気鉄道」の廃線跡を歩く
2019年、天夢人Temjin(出版社)退職と同時に群馬県嬬恋村に小さな山荘をもちました。長年働いた苦労?に対してのささやかなご褒美です。山荘のある浅間高原は標高1260m、高原といえどももはや浅間山の中腹で、朝晩は涼しく、夏の気温は東京とは10℃違う別天地です。  麓のコンビニに買物に出かけた折、偶然に「北軽井沢駅」に出会いました。西洋建築と神殿造りがミックスした素晴らしい歴史記念物です。「そうか、そういえば、この辺りはかつて草軽電気鉄道が走っていたのだ」――と思い出し、半世紀前の軌跡を辿ってみたくなりました。  『旅と鉄道』(天夢人発行)で連載し、隔月2年間を道なき道を辿り、「高原の記憶」を後世に残こすべし、と取材しました。熊さんとは一度だけ遭遇。旧長日向村近辺の林道で、若熊が危険を察知したのか、すばやくよぎって行きました。
2021
道東廃線紀行
北海道、道東へ廃線めぐりをしてきました。北海道の鉄道は今、最盛期の4割が失われています。とくに道東は鉄道地図がもはや空白になるがごとくです。でも、どこもがかつて青春時代、リアルタイムに乗った路線で、郷愁に包み込まれています。夏草茂る廃線跡を若かりし日々を思い起こしながら辿る旅は楽しくもあり、悲しくもあり、複雑な心境でした。思い返せば、北海道の廃線は「歴史遺産」です。そこにはかつて産業、文明と一体となった鉄道文化が築かれ、まさに北海道開拓史の主流でした。炭坑、にしん漁、馬産、アイヌなど、廃線を歩くことによって見えてくる北海道開拓史を書いてみたくなりました。
士幌線タウシュベツ
士幌線タウシュベツ
標津線
標津線
根室標津鍋焼きうどん
根室標津鍋焼きうどん
キタキツネ
キタキツネ
 根室標津駅前食堂は今も健在で、50年前と同じおいしい「戸川幸夫推奨、鍋焼きうどん」を試食しました。廃線跡の路傍ではキタキツネ君に何度も会いました。